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2013年 05月 01日

不確実な現実あるいは虚構との狭間 ii

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NHKで、埴沙萠(はに・しゃぼう)という植物写真家のドキュメンタリーやってた。
82歳でなお、カクシャクとフィールドで植物写真を撮り続けている方。
凄い!
いや~参ります。

で、彼の一言がイケてましたよ。
「私の写真を言葉で説明しろって言われてもできないよ。
写真家は言葉で説明できないから、写真撮るんだよ」って(笑)
やっぱりねぇ・・・年季入った写真家の言葉は重いですよ。

みんな何らかのカタチで自分を表現する・・・
いろいろな表現を使ってコトバ巧みに自分を表現するヒトもいれば
絵画を描くことで表現するヒトもいる。
書道のヒトもいれば、音楽のヒトもいる。俳句のヒトもいる。

で、それを一概に「じゃぁそれをコトバ(文章)で言い表してください」は
厳しいと思うんですよね。
なんとな~くなんです。

・・・っと、ワタクシは思います。あくまで私感ですが。


・・・で・・埴さんの植物写真、素晴らしいですよ。
特に「キノコ」は・・・幻想的の一言です。
スーパーで買ってきた「しいたけ」でも美しい胞子写真が撮れるサマは
感動的ですらありました。神秘的です。
やはり、こういう神秘的な映像は「筆舌に尽くしがたい」としか
いいようがないですな(笑)
いやほんと感涙ものでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真をコトバで表せないのは「思索の放棄だ」ってのたまってる方がいたのですが
残念でなりません。
もしかしたら、その方は本当に「筆舌に尽くしがたい」とか
「息を飲むような」写真を観たことがないのかも知れません。

もしかしたら、「愛に乏しい人生」を歩んできたのかも知れません。
(なんとなくそう思えてきました)

あるいは、ワタクシが「写真」っていうカテゴリーに捉えているモノと
その方が「写真」だって言っているモノは全くの別物なのかも知れませんが。

もっと言うと・・・
たとえば物凄い幼いコドモで、なぜか天才的なコドモ(注)がいて
見よう見まねで書いた「書」が物凄く芸術的だったりすることもあるんですよね。
で、その子に「その書に対して、何か説明できるのか?
言葉に表すことができるのか?」って問うても、絶対答えは返ってきません。
たぶん、なんとなく・・・でしょう?

だから「写真をコトバで表すことができないのは、写真家の思索の放棄だ」
って言われるのは、たぶんその方「写真は芸術ではない」
って宣言しているようなものだと思うのですよ。
残念至極です。


注)後で調べたら、高橋 卓也君という子でした。
見よう見真似で3歳の頃から天才的な「書」を書いてる子です。
テレビのCMとかにも出ているのでご存知の方も多いとは思いますが。
そういえば、小学校の時、同級生に全く同姓同名の子が居たのですが
彼が天才肌だった記憶はありません。アタマは良かったですが(笑)

すみません、後日の追記です。
ワタクシの小学校の同級生、高橋卓也くんじゃなかったです。
今思い出しました。「高橋卓司」くんでしたorz
ボケが進んできたかも知れません。でも思い出してよかった・・・


by nakky85 | 2013-05-01 08:47 | 影像


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